2010/10/29に東京で開催された「やらまいか」という会に参加して感じた疑問と地元の転勤族などに聞いた情報等から。

--  疑問だらけの浜松市行政 --

都市は今後、勝ち組と負け組みに分化していく。このままでは、浜松市は負け組みに入るのは必至。

 

無計画すぎる市街地の区画整理、区画整理のやり直しは出来ないが、反省会は直ぐにでも出来るはず。ところが全くやられていない。

 (これはあとで書きます)

 

行政の失態を覆い隠し古きよき町名をすべて消した、住民の意思不在の住居表示変更

 - 町名を消したのは、街割りをしたくなかっただけなのでは

  - でも町民は、浜松祭りのために、自分達で街割りをやっている

 

無意味な浜松芸術大学 - この不景気な世の中で芸術に金を払うのか。芸術はコネの世界。

大学を作っても一筋縄には行かない。

それよりも、浜松の技術を支えてきた、静大工学部を拡大しなければならないのに、静岡に移転しつつあると聞く。また、すごく不便なところに作った、浜松医大を中央に引っ張ってきてもよい。医大は付属病院に患者がいってなんぼのものであり、中央に引っ張ってくることこそ価値がある。とにかく学生が集まる大学を中央におけば、住居も商店もにぎわうし、ゆくゆくは産業の復興につながる。

 

市外へのインフラ集中化による行政の効率化という常識に逆行した、ドーナツ状の宅地化推進地域(静岡県の施策)

 アメリカ人に機会があってこれを話したら、1980年代? にアメリカSanDiegoでも

同様の政策をやって、市街地が寂れたらしい。それで、急遽これをとりやめて、行政を

市街に集中させ、市は復活したらしい。一度視察したら良いと思う。

 

縦割り行政まるみえの行政サービスの分断。たらいまわしの市役所対応。私が、地元に帰って区画整理に関して残っていた問題を市に問い合わせたときには、市は、「担当者がいない」「わからない」とたらい回しにされました。他の市から来た転勤族も、「ゴミの収集について問い合わせただけで、たらい回しにあった。こんなヒドイ窓口の市は見たことがない。区画整理もひどいものだ、浜松市は将来絶対負け組になる」といっていました。

 

今後の産業構造の変化を正しく認識していない4本の政策の柱。

地元民いわく、浜松市政は、スズキと丸蔵倉庫のいいなり。 その連中が次の産業がみえているならいいが。。

 

今後産業は、中国等安いEMSでの製造にシフト。また、中国では、携帯、電気自動車も部品市場が立ち上がってきており、町工場で安価に、電気自動車、携帯電話が作れてしまう時代へ。(山塞機 さんじゃいき でwebを検索してほしい)

 

  1. 自動車 - トヨタとパナが2003年創立の米tesla社に出資(2010/11/4)の日経新聞の意味するものは。 スズキは、いまだに電気自動車を出せていない。スズキに投資する価値はあるのか。。
  2. 新農業 - フランスも農業国だが国土は平坦で農地はきわめて広い。イギリスも同様。一戸あたりの農地面積もすごく広い。山だらけの日本、狭隘農地で競争力のある農業をするには。まず、企業経営化で、生産性をあげないと諸外国には対抗できない。 
  3. 医療 - 医工連携といっているが、浜松に強い工(情報産業)の部分はあるのか。 
  4. 光 - 浜松フォトニクスは、真空管で強かった。でも市場はニッチ。固体デバイス市場にどう展開するのか。 

 「やらまいか」での市政報告会後の、司会者によるやらせ質問のみ。鈴木市長が会場からの意見を真摯に聞く姿勢がまったく見られない。アメリカでは発表30分に対して、質問は30分以上設けるのがあたりまえ。グローバル化に反した、旧態依然とした考え方。

 

市民と行政の間の意識の隔離が非常に大きい。これを埋める努力を行政がやらなければ、活性化は見込めない。

 

浜松市の中心街は老舗のデパートが続々撤退している。それはそのはず、駐車場がない、あってもデパートから遠い。地方は車社会なので、郊外の大規模店に人が流れる。

 

 老齢化。市外は老齢化している。浜松祭りを見ても、青年会ということで若者がお祭りを切り盛りしているが、町内会のご老体が、飲み会になると登場して一番良い場所で酒を独占して飲んでいる。ご老体を大事にするのは良いことであるが、あまりに出しゃばると若者の活気をそぐ。青年会も50近い人が増え、新たな若者が育っていないように見える。浜松祭りをみても、老齢化が目立つ。

 必要なのは、活気有る若者に譲っていく事だと思う。

 

区画整理の問題)

浜松市東小学校あたりの再開発の問題についてまとめておきたいと思います。

忘れるまえに、事実関係を順に整理したいと思い書きました。

 

こういうことがおきるから、公権力の関与は最小限にというのも一理あります。

利権の制御をちゃんとやらないと、理想とは違う方向に開発が進むおそれもあります。

 

区画整理に関する浜松市の資料)

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/participation/city/re-deveropment/sites/index.htm

 

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/participation/city/re-deveropment/houshin-top.htm

には市中心部の空洞化を食い止めるとありますが、デパートは続々撤退し、松菱もとりこわし、空洞化は止まっているのでしょうか。。

 

松菱に関しては以下) - 跡地の利用は、また白紙に戻っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%8F%B1

 

--

1. 経緯

- たしか1975年ごろには、国道152号線(旧国道1号線)を拡幅するために、住居を新築する場合には、道から一定距離引いて建てるように通達がでていた。そこを超えて立てても良いが、接収されても問題のない構造にせよと。拙宅もこれに従い1985年ごろに、実家の一部を改築した。

 

2. 1995年ごろになり開発方針は一転。おそらく国の補助金がでたのではなかろうか。

- 東小学校の学区全体を更地にして再開発することになった。

- ひとつには、盛り土をして、152号線の高さを馬込橋にそろえるためとも、

 152号線をまっすぐにするためとも言われている。

 

3. これに伴い、転出、残留を募る。

- うちの実家は残留となったわけだが、きわめて厚い補助金がでた。

-- セントラルコート新町という新築マンションの1/2フロアを占める、3LDKと、祖母が住む1LDKの家賃を補助金でまかなうことが可能。

-- 家業には、少し離れた、これまたきわめて広い2階建ての事務所を貸与してもらった。

<-- うちの近くの渡辺医院という医者は、もっと口うるさかったのでもっと優遇されたらしい。とにかく、言った者勝ち。言わないとエアコンすらつけてもらえなかったらしい。全く不公平なシステムであった。

 

4. 移転に際しては、土地の転売を禁止。市が土地の一定量を摂取。市は土地の売買を一切禁止。一部を摂取された土地に住むか転出するかの択一。

   実家は2割ほど土地を摂取された模様。一方、摂取されて狭くなりすぎて使えなくなった土地を買い集めて、区画整理でマージしてもらい、一気に大きな土地を安価に得た人がいるらしい。また、転出組みの土地の扱いも不明。

  -> 区画整理に際する利権の制御が不十分であった。区画整理で土地を摂取された結果、街が栄えたなら良いが、寂れている。老齢化の対策も魅力有る街への工夫もない。地震に強くなったのは喜ばしいが、古い思い出のある街が全部消えたのは悲しいことである。友人も昔のものがなくなったと悲しむ人が多い。区画整理費用をすこし節約して、歴史保存館を作るべきだったのでは。

 

5. きわめて多額の移転補助金がでた模様であり、新町のあたりは、個人宅でも3階建ての重量鉄骨の家が多い。実家も、個人宅にしては、とんでもなく高額な重量鉄骨3階建てである。年寄りで、ローンもおりないのに。。無計画な区画整理への苦情を金で押さえ込んだようにしか思えない。税金の無駄遣いである。

  設計業者にだまされたようで、天井埋め込みエアコンやら全熱交換型空気交換がついているし、ドアも無垢で高級。なのに、家の断熱が全然だめ。防音性能も極めて低い。

  -- すこし目先がきけば、土地を買い集めて土地を広く、整形にして、平屋を建てたほうがいいというのは後の祭り。

  -- 建物が立派かつ述べ床が大きすぎるので、店舗つき住居の免税が効かず、固定資産税は、世田谷の拙宅よりも、はるかに高い。

  老人にこんなに固定資産税を課してどうするつもりなのか。。

  --> 固定資産税がなぜ高いのか聞いても市にはわかる人がなくたらいまわし。

  #  年寄りをほおっておいたのが間違い。。深く反省しています。

 

6. 大金をつぎ込んだ、再開発なのにコンパクトシティにせず、個人宅兼用の個人商店ばかり。経営者の高齢化もあり、商店の魅力はなく寂れている。

  当初6階建てにそろえよという指示もでたようだが、全く徹底せず。

  さらに住居と商店が分散しており、コンパクトシティでもウォーカブルでもない。母親によると、スーパもなくなって買い物が大変不便だという。

 

  東小学校の跡地に芸術大学を作ったのだが、あれで人が呼べるのか。

  浜松に浜フォトなどをもたらした、静大工学部は静岡に戻ろうとしているらしいし、浜松医大は田舎にある。これらのリモートキャンパスを作ったほうがよかったのではないのか。とにかく計画性が感じられない。

 

  コンパクトシティ)

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3

  吉祥寺スタイル) - 下北沢も個人商店が活気がある。

  http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/2960/1/090221machisemiresume.pdf

 

7. 移転に伴い不手際が多い) 

  建物の減失登記は市が代行してくれたのだが、建物図面が必要な表示登記・保存登記は本人しかできない。この説明がないので、自宅は昨年まで未登記のままだった。土地の地番が3回も変わっているので、このトレースが非常に大変だった。

  ローンを使っていないので、あのへんは未登記の物件が多いと思う。

  知らずに相続になると困ったことになると思う。

 

8. (ここからが重要) 区画整理をしたのに、L字型の土地、細長い土地が多い。

  実家の裏に、8階だてと14階だてのマンションが建つことになり、おおもめになって、昨年は実家に戻り、いろいろ交渉。

  - 実家の東と南にL字型になる土地に建つ14階だてのマンションでは、商業地区なので、高さ制限もなく、建蔽率 80%・容積率400%を満たせばよい。実際、図面では建蔽率38.37%, 容積率387.60%である。なんら法規制がないので、南側は3mもあかない。容積率を満たすために、家の東は駐車場なのだが、鉄骨のopenframeなので、容積率には入らない。が、4階建ての駐車場に防音壁を作られるので、実家の南と東は全くふさがれて真っ暗になる。

  - 日影図を見ると年中陽はあたらないし、実家ベランダのめと鼻の先がマンションのopenな通路なので、プライバシーも全くない。

  東側は防音壁まで、1mも空かない。業者に散々文句をいったのだが、うちは法律には一切違反していない、裁判をやっても負けないから、やれば、の一点張り。土地の資産価値低下も、法律では一切保障していないから知らんとのこと。

  大企業の営利主義はひどいものである。近隣のことは一切無配慮。

  - まだ南東がわのマンションの方が対応は良いが、これで実家は真っ暗。

  風も通らない。業者は開き直って、そもそも、区画整理でL型の土地を残すのが悪い。あんな区画整理はみたことがないという。

  これに関しても、目先がきけば、ふんだんな保証金で土地を買い集めて、土地を広くし、建物は安い平屋にしておけば、問題は出なかった。

  - そもそもこの土地は、長い間買い手がつかなかった。ファミレスになるという話も破談。結局、再開発したものの、土地の魅力が増えていないのであろう。

 

9. あのあたりの町名を中央xx x番に変えた。浜松祭りは町名でやっているのに、

  わざわざそれをなくしてしまった。

  これも市に問い合わせたら、担当が異動になったとか、散々たらいまわしにされた挙句。

  - 町内会の総意であるとのこと。

  うちの町内会は皆苦言をいっているのにそんなことはあるのかと思ったら、とある市議さんによると、町会の有力者が、浜松市中央1丁目1番地をとれば地価があがるので、それで押し切ったらしい。

  - あとは、区画が全く整理されていないので、町境の定義が面倒というのもあったと思う。

  - 板屋町だけは旧町名が残っている。町内の人は、有力な丸くら倉庫があるからだとうわさしているが、区画整理のなかった田町近辺に板屋町が残っておりその関係かもしれない。が、同様の状況の東田町の名前は消えている。

  - 結局、浜松祭りをやるのに、町の区切りを、自治会が協議して決めている有様。

  # 伝統があり、想いのある町名を、利権のためになくしてしまったことに、私は憤りを感じる。

 

 とにかくあの区画整理で良くなったことは、近くに本屋とコンビニができたことぐらいか。。でも、その本屋も閑古鳥が鳴いている。そのうちつぶれるだろう。

 

浜松市役所ほど、たらいまわしの多い役所はいまどき珍しい。転勤族というマンションのデベロッパーの課長も驚いていた。ごみの回収の問い合わせですらたらい回しにされるらしい。この人は、区画整理の失敗、役所の態度、などから、浜松市はこのままでは負け組みに入るだろうと断言していた。。

 

区画整理のやり直しには数十年かかるかもしれないが、反省会は直ぐにでもやれる。当事者が覚えているうちに反省会をやらないと意味が無い。やりっ放しが一番よくない。行政と有権者の意識の乖離の原因にもなる。

 

 

学会誘致の件)

2002年に京都で行われたLSI設計に関する国際学会で講演したときは、幹事だった京大の先生のはからいで、(後で幹事の先生に聞いたのですが)京都市からの国際学会誘致の助成金を使ってホテルの大ホールで行われたバンケットに高下駄を履いた舞妓さん(?)が4人と、元締めのおばさんがやってきて、舞をおどってくれたのを覚えています。会場の半数以上を占めた外人さんには大うけでした。私
は舞妓さんをみるのは初めてだったので、一緒に写真をとり、お酌してもらったのを覚えています。また、同じく助成金から、立派な桐箱に入った舞用の大きな扇子が、参加者全員にお土産として配られました。

北九州市もこういう助成に熱心なようで、国内学会であっても市の助成で結構立派なバンケットが開かれています。学生ばかりか、社会人も参加費はタダだったように思います。九州の自治体は全般的に半導体産業・学会誘致に熱心です。

一方、浜松市では。。

同じ2002年7月に舘山寺温泉(当時は恒例でそこで開催されていた)国内学会にも参加しました。国内学会とは、結構有名で各地から有名な先生がこられる大きな学会です。が、バンケットはなく、宴会場でお膳にのった普通の夕食で、お土産もなかったように思います。市は助成してなかったのかな。ヤマハ、スズキ、(ホンダ)、浜フォト、ロームとか優良企業があるから、新規産業誘致にはあまり積極的でないのか。

バブリーといえばバブリーですが、市の誘致戦略の結果といえるかどうか、早稲田大学は北九州市にひびきのキャンパスを新設しましたよね。NECからも九州リターン組みは結構います。今はパーッとしませんが、九州には半導体系のベンチャーもたくさんできました。アカデミックを大事にして、大学、学生、ベンチャーを誘致することは地方産業復興には大事なことだと思います。

九州大学のLSI系の有名な先生は、九州は、日本ではなく、独立国にするんだと豪語してましたが、九州はアカデミックも威勢がいいですね。

浜松で、母校の東小学校と野口公園を壊して作った、文化芸術大学はそういう点で、文化と産業に貢献しているのか... 親が書家だから感じるのですが、芸術は、特に日本では、コネの世界だし、芸大でてすら身を立てるのは大変なので、大学を新たに作っても産業や文化なんて育たない。これまでは重工業・化学・電子産業が日本を支えてきたが、芸術がこれからの浜松や日本をささえるのか、よく考えてほしい。Appleなどの製品を見ていると、工業製品にデザインが入ってきていると思う。だとすると、静大工学部にデザイン学科を新設したほうが良かったように思う。

ハリウッドは別格かも知れないが、イタリヤやフランスをアルマーニやビトンが支えているのか。。

一方、ISSCC(国際半導体学会)等の海外学会では、市の助成金のことはあまり知らないが、ホテル(San Fransico Mariottが恒例)側が、実行委員長を普通ではとても泊まれないような、sweat roomに泊めている。準備委員会の開催も優遇していると聞いた。

Stanford大と話していてちょっと思うのは、stanfordの先生は、研究だけではなく商売にも熱心で、みな一度はベンチャーの企業経験がある。MIPS, San Microsystems, Netscape, VMware, RAMbusなどIT業界の有名企業は、みな元Stanford大の先生の設立したベンチャーである。私産10億円ではまだ小物だといわれてしまうらしい。このへんにもアメリカが新技術で強い源泉があるように思う。

 

浜松市も浜松は昔は、ホンダ、ヤマハ、ロームなど先端企業創業の実績がある。市民には活力があるはずで有り、今有る大企業に投資するよりも、大学発のベンチャーの起業を促進するような、体制を作り上げ、ベンチャーを浜松に育てていったらどうであろうか。